武蔵野東学園広報 第41号
平成25年(2013年)3月8日発行

180-0012 東京都武蔵野市緑町 2-1-10
Tel. 0422-52-2211㈹ Fax. 0422-53-1090
http://www.musashino-higashi.org

 学園ホームページへ

  

理事長 寺田欣司

目  次

 P.2 幼稚園
 P.3 小学校
 P.4  中学校
 P.5  高等専修学校
 P.6  教育センター
 P.7 学園総合
 P.8 お知らせ

    『東だより』 バックナンバー

 ご承知のように、私は昨年「武蔵野東学園物語」の執筆に取り組みました。久しぶりに東だよりに登場することになりましたので、今回はその執筆の経緯や感想を少しお話したいと思います。
 私が初めて北原キヨ先生にお会いしたのは、昭和62年の10月のことで、本の出版からちょうど25年前のことになります。そのころの北原キヨ先生は、今思えばもうだいぶご健康を害しておられたはずなのに、ボストン東スクールを開校して間もなかったこともあってか、あの独特のオーラをいっぱい振りまいておられました。
 一方、私の二人の娘はおちびちゃん時代を、アメリカの幼稚園や小学校で学びましたので、話題は自然に日米の子ども教育のあり方の違いに向かいました。当時の私は、二人の娘がアメリカの学校生活のなかで身につけた、社会的弱者とか、高齢者に対する思いやりの心が、日本の学校に通うようになってから、徐々に失われていくのを感じていました。そしてそのことを先生に話しました。すると先生は、
 「寺田さん、そう考える親のために、うちの学校はあるのです。お嬢ちゃんたちをうちの学校に入れればよい。いい子に育ててあげますよ」と即座に答えられ、私はそれに乗せられるように思わず「お願いします」と言ってしまったのです。これが私が学園と縁を持つきっかけとなりました。
 この本には創立以来48年間の学園の歩みが、物語風に語られています。学園に保管されている記録、キヨ先生が残された言葉や書かれた本の記述、先生亡き後その遺志を継いで今日までがんばってこられた諸先生方の思い出話、そして私自身が目撃し、また体験したこと、そうしたものをまとめました。
 記述を進めながら学園の歴史を振り返るなかで、改めていかにキヨ先生がユニークな発想の持ち主だったか、いかに決断力と実行力に富んだ人だったか、が改めて思い起こされました。そして25年前の初対面のときの学園長室の中の様子、そしてキヨ先生の表情がありありと浮かんできました。
 武蔵野東学園の歴史は、25年に及ぶキヨ先生のご苦労の足跡であるのと同じほどの価値のある、今日の姿にまで発展させた諸先生方の努力の軌跡でもあります、これらもまた改めて思い起こしました。とくに小学校、中学校開校時のトラブル、ボストン東スクールと高等専修学校運営の苦労話の記述に及んだときには、しばしば筆が止まってしまいました。
 「混合教育」というユニークな教育システムは、キヨ先生が発案したものです。先生が初めて自閉症児と出会ったとき、障害児教育についてはまったくの素人でした。先生はあくまでも教育者であり、どんな子どもでも教育して見せると考える、教育者魂の固まりでした。もし先生が専門家であったなら、その専門的知識がかえって邪魔をして、おそらくは「混合教育」という教育システムを導入することはなかったかもしれない。私は思い入れをこめてそんなことも書き入れました。 
 また「混合教育」の成果に関する記述のときには、自閉症児、健常児その双方に大きな教育効果を生み出すものに仕上げたのは、キヨ先生の意を汲んだ教師たちの汗の結晶であることを再認識しました。
 他に例のない試みに挑戦した先生たち。長年にわたる先生たちの粘り強い努力がなければ、今では武蔵野東学園の代名詞ともなっている「混合教育」の、今の姿はないでしょう。
 昨年十月の出版以来、これまで在園の児童生徒の保護者をはじめ、学外からも多くの方々の感想が寄せられました。そのなかには「こんな学園が現実に存在するなんて、まだまだ日本も捨てたものではない」とか「奇跡の学園だ」などと、いささか気恥ずかしくなるような感想もありました。
 本書の発刊により、より広くそして多くの人々が「教育とは子どもたちの社会自立への道筋をつけること」「教育の根幹は思いやりの心を持つ社会人を育てること」こうした武蔵野東学園の教育理念が、理解されることを願ってやみません。

    次のページへ(幼稚園)