編入学をしてきた卒業生の感想

~卒業文集より~

「今思うこと」     25期生 A君
「東での絆」      24期生 B君
「かけがえのないもの」 21期生 C君
「私にとっての光」   16期生 Dさん
「大空へ」       15期生 E君
「高校6年生」     13期生 Fさん

 

 

今思うこと

                             25期生 A君 

 私は小学生時代、中学受験をしてM附属の中学に入学した。当然の事ながら附属高校に進学し、エスカレーター式にM大学に行けると考えていた。しかし、部活などを言い訳にして勉学を疎かにした為、高2で人生が止まった。そんな時、高1の時の担任で武蔵野東で勤務していたK先生がこの学校を紹介してくれた。M高校から武蔵野東への編入は何もかもが違う環境だった。当然編入の際は悩んだ。でも「1年間だけ我慢すれば良い」と思い編入を決意した。
 しかし、この学校は私の予想をはるかに越えていた。
 いつも話しかけてくれるクラスメイト達、すれ違うだけで挨拶をかわしてくれる全校生徒や先生達、そして私の生き方に対する概念を変えてくれた○○君や△△君をはじめとするC組の仲間たち。私を暖かく包んでくれる環境がこの学校にあった。
 編入時は正直、「大学への踏み台でしかない」と考えていた武蔵野東への思いが、いつの間にか「私を一回りも二回りも成長させてくれる」という思いに変わっていた。
 そして、ハワイ学習やスポーツ大会・紫峰祭などたくさんの思い出が増えていき、学校生活を楽しんでいる私がいた。
 この学校は、インクルージョンの最先端を進んでいて、更にはノーマライゼーションを自然に作り出していると強く感じた。別の言い方をすればこの学校こそ真の人間教育の学校だと言える。
 卒業を目前に控え、私の人生の軌跡の中に武蔵野東での日々である事を今、誇りに思う。
 そしてまた、K先生から始まる東の先生との縁は人生の宝として感じている。
 最後に高校生活では親に不安と悲しみを与えてしまったが、これからは自分で自分の道を切り開き、親を安心させたい。

 

東での絆

                             24期生 B君 

 私は、東に一年の冬に編入してきました。編入する一週間前から体験入学をさせてもらいました。体験入学をする前は、一年も終わる頃に新しい学校に行って、段々と固まってきているクラスの輪に入れるのかすごく不安でした。しかし、いざ体験入学をすると東の生徒はとてもやさしく、親切で、よく話しかけてくれてすぐにクラスの輪に入ることが出来ました。とにかく編入したら多くの人と話して早くクラスにうち解けることができるようにしようと思いました。
 二年生になって、C組の生徒とバディを組んで学校生活を送るようになりました。初めてのバディは、C組の○○君でした。○○君との一番の思い出は、初めて校外学習そして初のバディとして一緒に行った林間学習でした。すべて、初めてだらけの林間学習だったので○○君の事をサポートできるか不安だったのですが、班の仲間たちがサポートしてくれたおかげでとても楽しい林間学習にすることができました。
 そして、三年生。一番の思い出は、なんと言ってもハワイ学習です。私のバディは現バディの□□君です。□□君とは、二年生の冬頃からバディだったので、お互いを理解しあえていたので、何の不安もなく楽しくハワイを満喫する事が出来ました。なにより、ハワイに東の仲間と全員で行けた事が最高の思い出となりました。
 東での三年間は、あっという間に過ぎてしまいましたが、本当に東に出会うことが出来、そして今の仲間に出会うことが出来たことは、私の人生の中で一生忘れる事の出来ない宝物です。そして、一人一人がとても熱心な東の先生方に出会え、共に学んで行く事が出来た事も一生の宝物になりました。卒業しても連絡を取りあって会える機会を多く作りたいと思っていますし、学校にも遊びに来たいと思います。
 東での絆を大切にし、これから新たな目標達成に向けて歩んでいきます。

 

 

かけがえのないもの

                             21期生 C君 

 季節は巡って1年が経ち、この春私はみんなよりも一年遅い3年生を迎えた。以前、高校2年生であった私は、この武蔵野東技能高等専修学校に1年生として編入をしてきたからである。
 思い返せばこの2年と数ヶ月という年月は、私にとって経験したこと一つひとつがとても貴重なものだった。それはこの学校で経験したすべてが、中学生の時よりも、以前の高校にいたときよりも、積極的に参加することができたからだと思う。それは自分自身の力ではなく、周囲の友達のおかげだ。東の友達は、前の高校に通っている人達とは違う。「違う」とは悪い意味ではなく、逆に、とても良い意味で使っている。一人ひとりがお互いを思いやる心がある。編入してきた私に対しても、最初から温かく迎えてくれる雰囲気にすごく心が救われた。こういった友達がいたからこそ、失敗を恐れずに色々なことに前向きに取り組めたのだと思う。どんなときも支えてくれる優しさを本当に感謝している。私を変えてくれた、かけがえのないものの一つだ。
 忘れてはならないのが「バディ」という存在だ。私にとってはA君との出会いや友情はとても大きなものだ。
 彼とバディになったのは2年生になってからである。きっかけは、彼が卓球部に入部してきたことから始まった。彼とバディを組んだ当初は、とにかく自分を知ってもらおうと、また彼のことを知ろうとして、まさにお互いの信頼関係を作っていく日々であった。あれから月日は流れて、今ではA君という存在が私にとってなくてはならない存在にまで大きくなった。特に彼の個性の一つであるユーモアに何度救われてきたことか…。いつか私の中でバディがとても大きな存在になっていった。
 過去、私は「悲劇のヒーロー」を演じていた。常に自分を中心に物事を考えて、自分のことばかり大事にして、相手のことを大切にしていなかった。今思えば、本当に子どもだった。このように思えるようになったのは、武蔵野東技能高等専修学校に来て出会うことができた友達から大切な何かを学んだからなのだろう。
 この学校で得た、かけがえのないものの一つひとつがこれからの私を支えていくことだろう。

 みんなと会えたこと…
 みんなと過ごした時間…
 みんなに伝えたい言葉は一つ…

           ありがとう…
 

私にとっての光

16期生 Dさん

 武蔵野東技能高等専修学校に入って学んだ事はたくさんありました。その中でも一番学んだ事、経験して良かったと思う事は自閉症といった障害を抱えた同年代と出会えた事です。編入してきて一番初めに声をかけて来てくれたのはD君でした。今でも彼との会話は、はっきりと覚えています。

 そして専門教科の家政科被服でEさんとFさんに出会いました。Eさんは明るくていつも元気で見ている私自身も元気を彼女からもらっています。Fさんはとても女の子らしく、にこにこと微笑んでくれます。

 被服の授業ではEさんと編入したときからずっとバディを組んでいます。編入したとき、まだ1年の時、Eさんは私の名前なかなか覚えてくれませんでした。でも2年生に上がって彼女は私の名前を覚えてくれるようになりました。名前を覚えて呼んでくれた時は凄く嬉しかったです。

 同じ自閉症といった障害を抱えた友達でもみんな人それぞれの個性があり違います。この学校に編入した事で自閉症を抱えた友達と出会い、色んな事を学び、体験できました。これは一生の思い出でもあり、自分にとっての一生の宝物です。私にとって、自閉症を抱えた友達との出会いや経験、学んだ事が私にとっての“光”だなって思いました。

 

大空へ

15期生 E君

 武蔵野東に転入してもうすぐ1年がたちます。短い期間だったけれどもたくさんの思い出、そして友ができました。ハワイへの修学旅行、ラグビー部のこと、そして一番はC組(自閉症児クラス)の友達との交流でした。

 僕は転入する前に学校見学にきていましたが、実をいえば当初自閉症の友達には抵抗がありました。僕は自閉症という障害に対する知識がほとんどなく、また理解しようとも思いませんでした。そのせいか入学を決意し、通い始めるまで抵抗がありました。しかし、入学し、登校すると、その思いは一気に弾け飛びました。自閉症の友達は、みんな純粋な目をしていて、心に何のためらいもなく話しかけてきてくれました。

 クラスに入ればみんなが「おはよう!」といってくれ、帰りには「じゃあまた明日!」と当たり前のことだと思いますが、そういう当たり前のことができなくなっている今の時代、こういう事を自然にできるというのは、素晴らしいことだと思います。

 その日から武蔵野東技能高等専修学校が好きになりました。と同時に僕の誇りになりました。僕は1年間しかみんなとの学校生活を送っていません。しかし、人間として本当に大切なものを教えられた気がします。

 人間として大切なもの、それは他人を思いやれる純粋な心だと思います。他人に心を開いてもらいたいならまず自分から開かなければ何も始まらないと思います。僕はこの武蔵野東技能高等専修学校で学んだことを決して忘れず大切にし、これからの未来へ羽ばたいていきます。

 

高校6年生

                             13期生 Fさん 

 私は、高校生活を6年間送っている。まるで小学校みたいだ。低学年を私立K高校・中学年を通信制の高校・そして高学年を武蔵野東とそれぞれ2年ずつ通っていたのでそのように例えられる。そして高学年…最高学年となった私はやっと卒業ができる。自分で選んだ道だから、誰にも文句は言えないが、「長かった」

 私は21にしてやっと制服をぬぐことができる。大変だったけど…親や友達にも迷惑をかけてしまったけど、私の選んだ道に後悔はない。 まわり道があったから「今の私」がいる。19才という年齢で入ったからなのか、色々な体験をしてきたからなのか、私の学校生活というものが一変した。学校生活を大切に思える自分ができた。

 3才年下の友達・お友達の存在、それに何でも話せてしまう先生達が私を変えてくれたのだろう。高校生活を過ごした6年間は、私の生きてきた中で一番充実した時間かもしれない。その中でも武蔵野東での2年間は私を大きく変えてくれただろう。