教育センターについて

松井 智子 (東京学芸大学教授)語用論と自閉症


1.語用論との出会い

(第34号)平成29年3月1日発行


1990年代、ロンドン大学の大学院生として勉強をしていたとき、「語用論」という言語学の新しい分野の研究に出会いました。私たちが言葉を使ってコミュニケーションをする際に、言葉になっていない部分がどのよう伝わるのかを研究する学問が語用論です。「行間を読む」とか「言葉の裏を読む」などと呼ばれているプロセスを、科学的に説明しようとする学問分野と言ってもよいでしょう。


日常会話では、たとえば「この間のアレ、どうだった?」「あー、アレ、ちょうどピッタリだったわ」のように、第三者から見ると何の話をしているのかさっぱりわからないという情報交換がなされていることが少なからずあります。この例では、会話の中では「アレ」という言葉が何を指しているのかがわかること、「ちょうどピッタリ」はどのようにピッタリだったのかが理解できることが鍵となります。会話の参加者にとっては、たとえば「アレ」はお下がりの子供のジャケットで、それをもらった子どもにピッタリサイズがあった、ということがわかればコミュニケーションは成立です。


私と自閉スペクトラム症とのそもそもの出会いも、語用論つながりでした。私が大学院生だったとき、今では世界的な自閉スペクトラム症の研究者であるフランチェスカ・ハッペさんもロンドン大学の大学院生でした。彼女は自閉スペクトラム症児にとって、皮肉を理解することが困難であることや、発音は同じで意味が違う単語(同音異義語)の理解が苦手であることなどを調べていました。彼女は、語用論の視点から本格的に自閉スペクトラム症児の研究を行った最初の研究者だと思います。


その後20年以上がたち、今では自閉スペクトラム症と「社会的・語用論的コミュニケーション障害」の関連がより広く知られるようになりました。高い言語力を持つにも関わらず、会話の理解に必要な文脈をうまく使うことができず、コミュニケーションに困難を抱える自閉スペクトラム症の方は少なくありません。語用論の研究は、このような障害の要因解明や支援方略の評価にも貢献できると考えられています。そしてそのような貢献をすることこそ、武蔵野東学園のご協力のもと、現在我々が進めている研究のゴールでもあります。


2.言葉の意味と話し手の意味 その1

(第35号)平成29年7月1日発行 


私たち人間は、日常のできごとに意味付けをしたがる動物のようです。たとえば、自慢にしていた長い髪を、友だちが突然切ったと聞かされたとき。付き合いはじめた彼氏と別れたのかな? 何か新しい出発の印なのかな? 友達が髪を切ったことに、自分なりの意味をつけようと思いをめぐらすのは、意味づけの欲求がある証拠です。友だちは、ただ夏に向けて髪を短くしたいと思っただけだったかもしれません。つまり、髪を切ることに、それ以外の意味は何もなかったということになります。もともと特段の意味を持たないできごとにも、意味を付けようとする習性が、私たちにはあるようです。


私たちの意味付けの習性は、話をしている相手の表情や声の調子が急に変わったりするのを見逃しません。いつもは楽しそうに話している人の表情や声の調子が暗いとき、何か悲しいこと、悩んでいることがあるのかな、と推測します。今まで笑顔で話を聞いてくれていた相手の表情が急に暗くなったら、今自分が何か変なことを言ったかな、と気になります。


特段意味のないかもしれないものにも、意味を付けずにはいられない。そんな私たちの意味付けの習性とは別に、もともと特定の決まった意味があるからこそ使えるものもあります。言葉です。ひとつひとつの言葉には、それが指す特定の物や動作や様子があります。ご存知のとおり、辞書には、それぞれの言葉の意味が記されています。そしてその意味を恣意的に変えることはできません。


ただ、会話で相手があなたに何か言ったとき、相手の使った言葉の意味と、相手が思っていたことが同じとは限らないことはご存知のとおりです。むしろ、違うことがほとんどです。そんなとき、私たちの意味付けの習性が役立ちます。友だちが言葉では「すべて順調にいっているよ」と言っていても、目線が下を向いていたり、声が低かったり小さかったりすると、本当に順調にいっているのか、疑ってしまうでしょう。こういうとき、私たちは相手の話している様子や、背景知識を含めた文脈を手がかりにして、言葉そのものの意味とは別の意味を、話し手の意味として理解しようとします。


自閉スペクトラム症の場合、文脈を手がかりにして言葉そのものの意味とは別の意味を、話し手の意味として理解することは難しいと言われています。次回はそのことについて書きたいと思います。


3.言葉の意味と話し手の意味 その2

(第36号)平成29年12月1日発行 


というとき、「ほら、レストランは上の階だから、そのエレベーターに乗って、上に上がって!」と指差しをしながら私は言いました。息子はニヤニヤしていましたが、私の言ったとおりに行動しました。そして上の階に着いたとき、大人びた声で言いました。「ママ、エレベーターじゃないよ、これ、エスカレーターだよ。」


そうです、息子の言うとおり、私は「エスカレーターに乗って」と言うつもりだったのに、「エレベーターに乗って」と言ってしまったのです。でも息子は私の「言ったとおりに」、エスカレーターに乗りました。私がエスカレーターを指差しながら話をしていたことや、すぐ前にエスカレーターがあったことなども手がかりになって、私が言い間違いをしていることにすぐ気がついたのだと思います。


さて、相手が言い間違いをしたな、と気づくのには、言葉の意味を理解することに加えて、相手が何を言いたかったのかを推測することが必要です。でもそれだけでは足りません。言い間違いに気づくのには、相手が言いたかったことは、言葉の意味が伝えることとは違うかもしれない、という認識が不可欠なのです。


大人であれば、それは当然のことと思われるかもしれませんが、幼児期の子どもは、まだ相手の言い間違いに気づくことができません。そして自閉スペクトラム症の場合は、年齢にかかわらず、言葉の意味が伝えることと相手が伝えたかったことは違うかもしれない、という認識を持つことが難しいようです。


この難しさを説明するのには、いくつかの可能性があります。ひとつは、その場の状況から相手が伝えようとしていることを推測することができないために、言葉の意味が相手の言いたいことだと思ってしまうということです。文脈がわからない、とか、行間が読めない、という言い方もできます。


もうひとつの可能性は、自閉スペクトラム症の人たちにとって、言葉の意味は最も信頼できる情報であるために、言葉の意味と相手の言いたいことがずれていると、言葉の意味を優先するということです。これは、自閉スペクトラム症の人は文脈がわからない、と言うのとは少し違います。言葉の意味を絶対的なものととらえる傾向があるために、言葉の意味とは別に、話し手の意味があるとは思えないのではないか、と考えるのです。私自身はこちらの可能性が高いのではないかと推測して、調査をしています。じつはこの傾向は、定型発達の子どもにも少なからず見られます。


次回はその調査からわかったことをお話したいと思います。


4.言葉の意味と話し手の意味 その3

(第37号)平成30年3月1日発行


前回お伝えしたことの中に、自閉スペクトラム症の人たちにとって、言葉の意味は、相手の顔の表情や声色などから読み取れる情報よりも、信頼できる情報であるということをお伝えしました。今回は、そのことを示している研究結果についてお話したいと思います。


武蔵野東教育センターのご協力をいただきながら、私たちの研究グループでは、言葉の力のある自閉スペクトラム症児と定型発達児(どちらも小学生)を対象に、調査を行いました。


参加してくれた子どもたちに、まず二人の女性の写真を見てもらいました。ひとりはうれしそうに微笑んでいて、もうひとりは機嫌が悪いのかむっとしています。そして、「このあと、女の人の声が聞こえてきます。このふたりのうちのどちらかひとりの声です。どちらの人の声か、指差して教えてください」とたのみました。「おもしろい」「つまらない」といった、気持ちを伝える言葉や、「にわとり」「ブランコ」のような、物の名前を表す言葉を順番に聞いてもらいました。


「おもしろい」という言葉がうれしそうな声で聞こえてきたとき、子供たちはうれしそうな顔を選びました。「つまらない」という言葉が不機嫌そうな声で聞こえてきたときには、不機嫌そうな顔を選びました。言葉の意味と声色があらわす意味が同じ場合は、自閉スペクトラム症も定型発達児も、言葉と顔の表情を正しく組み合わせることができました。


「うれしい」という言葉が怒った声で聞こえてきたときや「きたない」という言葉がうれしそうな声で聞こえてきたときはどうだったでしょうか。言葉の意味と声色があらわす意味が逆になっている場合です。定型発達児は、声色を優先して写真の顔を選びました。対照的に自閉スペクトラム症児は、言葉の意味を優先して選ぶ傾向がありました。不機嫌な声でも、「うれしい」といった人はうれしいのだと理解するのです。


自閉スペクトラム症児は、言葉が示す感情は理解できても、声色が伝える感情を理解することができなかったのでしょうか。実は私たちの調査で、そうではないことがわかっています。「にわとり」「てぶくろ」などといった、感情とは関係のない言葉を、うれしそうな声と不機嫌そうな声で聞いてもらったところ、自閉スペクトラム症児も定型発達児と変わらず、声色に合った顔の表情を選ぶことができたからです。


この研究からわかったことは、声色から感情を読み取ることができるのに、言葉の意味が声色と矛盾しているとき、自閉スペクトラム症児は言葉の意味を優先して感情を理解するということです。言葉の力のある自閉スペクトラム症の小学生にとって、言葉の意味は声色よりも信頼性が高い情報であることを示していると思います。なぜそうなのかについてはまだわかっていないので、これから調べてみたいと思っています。


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