教育センターについて

鎌倉ゆみ子(前武蔵野千川福祉会理事長)就労支援にたずさわって


1.危機をチャンスに就労支援の変遷

(第46号)2021年3月1日発行


昨年7月武蔵野東学園のアドバイザリーボードミーティングにて「武蔵野東小学校におけるIT教育について」という主題でのレポートを伺う機会を得ました。


コロナ禍、学校休学措置状況のさなか、ITを駆使して個々の児童ひとりひとりに即した家庭学習推進の様子をつぶさに見聴きでき、まさに危機を変革へのチャンスと実践を深めておられることに感銘を受けました。


まずは家庭で朝食・歯磨きし、定時に机にむかいましょうという示唆、日常生活習慣を崩さす維持することこそ危機的状況にある子供たちにとって最も大事にしたいポイント、と思い至りました。


私が理事長として10年余り務めた武蔵野千川福祉会もまた平成の始まりころ新たな市内障害者福祉状況の変化に伴い、民間共同作業所としてのありようの変革を迫られた状況がありました。月村前理事長を中心として「どこにもない作業所を創ろう」と「個々に応じた働く力」を育て、伸ばしていく方向性を探り、危機を変革のチャンスとして福祉実践を追求し、現在の高生産・高工賃で都内一となる機能分化した就労事業所づくりにいたっております。


ふりかえれば平成半ば、この変革の時代は、同時に障害のある人たちの就労支援の状況がまさに大転換したときでもあります。


この国の経済が高度成長をまっしぐらに遂げていった昭和50年代、障害のある人たちは中学校を卒業すると即戦力となって企業就労に進んだのです。当時私も公立中学心障学級の担任でした。そこにおいて目指すところに「可愛がられる障害者」像があり、物言わずひたむきに働く姿がよしとされました。


けれども平成のバブル崩壊とともに、雇用うちどめも多くなる危機のなか、障害者就労支援を旨とする人たちから「ハッピーリタイア」が謳われ、「職場を変えてもいいじゃないか、やり直してもいいじゃないか」と地域で就労支援センターづくりが始まったのです。私も一教員として地元の親の会の方々とともに就労支援という組織や、障害のある人の新たな働く場づくりや、同時に働く活動を支える余暇支援について等々話し合いつつ、かたちとして創っていった経緯があります。


それはまた障害のある人自身が、「自分が働く場」や「自分のこれから」について思考し、選択をするという主体そだての道でもありました。危機から新たなステージへの展開、現在こそ、その時であろうかと思う次第です。


2.思春期から青年期へ自己理解を深める

(第47号)2021年7月1日発行


武蔵野東高等専修学校卒業式には幾度か参列いたしました。その都度、真に清々しい感動を呼び起こされました。卒業証書を手に、檀上で、卒業生ひとりひとりが「自分」を語るのです。高校生活の始まりのころの自分のこと、様々な体験をとおして自分自身が変わってきたこと。今卒業のときを迎え、改めて自分の未熟さを見つめ、また葛藤を乗り越えてきたことには自分なりの評価を。


ひとりとして同じ言葉はなく、主体的に自発的に、時に涙とともに語られておりました。


檀上の担任の先生からの率直な暖かさに満ちたメッセージも、「かけがえのないひとり」を見守り、あるいは叱咤し、あるいは励まされてこられたのだ・・・と思わされる「語り」でありました。


思春期の訪れは個別ではあれ、心身の変化は誰よりも本人が驚くほどの急激なものです。中学生頃からしばしば混乱に陥り、葛藤を抱え、自尊感情をも傷ついてしまう事例も教師として数おおく経験してまいりました。


自分ってなんだろう、この先どうなるのだろう、そういったかれらの不安感に対峙していく際、なによりも大切なものは「受けとめる環境」そのものです。


環境とは、親よりは友達、受けとめてくれる先輩たち、大人たち、先生たち。成長と発達に即して卒業後の生活を見える形にしていく教育活動。


この時期の青年たちの不確実性を尊重し、ひとりひとりの内部に作られていく人間関係を通じて養われる思考・社会性。そこに支援者は、本人とともに、目をむけ気づかせていくことが大事と考えてきました。


進路指導担当教員としての現役時代、卒業後の生活は、「みんな同じ・働く・こと・仕事をすること」とまずは共通に抑え、そこを基調として「本人の思い・意思・好み・得意なこと・苦手な雰囲気・苦手なひと」等配慮し、進路に関する学習や実習を組み立ててきました。


「福祉」と「企業」という枠をあらかじめ用意しても、本人がその違いを理解していくことの困難さがあります。大人の思い入れではなく、高校生活で積みあがってきた本人の姿を、保護者の方も、本人とともに確認しあって進みたいものです。武蔵野千川福祉会では、入所してから、数年の仕事を経験して企業就労した方もおります。企業就労はスムーズにいかなかったけれど、作業所に通いながら週数日高齢者施設で働く方もおります。なによりも「本人の意思」を大事に。


支援者がみな同じ思いで、彼を、彼女を見守っていくことこそが就労支援のベストと思っております。


3.親離れ・子離れのとき

(第48号)2021年12月1日発行


現役時代のエピソードです。新一年生を迎え春4月は家庭訪問。開口一番ご家庭より「施設にいれたいのですが」とのお話。訳を伺えば中学校までは徒歩で通学できたのだけれど高等部はバスと電車を乗り継がなければならない。家庭の事情で送迎はできないから、いっそ施設へ・・とのことでした。「いやいや、そう急がずとりくんでみましょうよ」と提案し、翌日から実行。ご家庭ではバス乗車まで見届けていただく。私はバス降車場所で待ち、一緒に電車に乗る。決まった号車に乗り、座らない。窓の外を見て降車駅を確認。学校までの道路は安全な道を。次のステップ、私は電車内で隠れており、次のステップは総て彼ひとりで。1か月ほどの経験で彼はひとりで通学する力を身に着けました。


その秋のこと。学年行事・社会見学で横浜散策をしました。翌日の事後学習の際、彼は作文代わりに絵を描いたのです。見事な鳥瞰図。横浜中華街入口のエキゾチックな朝陽門を描き、善隣門までの縦横に伸びる道路はほぼ正しく、さらに途中で目にとまった大きな陶芸の「龍の像」までも。まさに視覚優位の人でした。 卒業後の彼は、元気に地域の作業所に通っています。


武蔵野千川福祉会入所式では本人に各事業所への辞令を手渡します。辞令伝達の後、私は「4月15日のお給料(工賃)はご家庭の方とともに仕分けしてください」という話を毎年度いたしました。一生懸命働いていただいたお給料を「お小遣い・貯金・家にいれる」と封筒三枚でわけて使ってくださいという提案です。何といっても第1回目の工賃です。現金支給です。勿論、お家の方は封を開けたら目一杯驚いたり喜んだりしてくださいね・・ということもぜひぜひとお願いしました。


工賃支給日の後。視察したチャレンジャーにて「理事長、僕お母さんにハンカチプレゼントしたんです。」と話しかけてくれた彼がおりました。東学園の卒業生でした。きっとお母さんの好みを考えながら買い物の時間が過ごせただろう・・・と想像します。お母さんの笑顔も浮かびます。そんなエピソードが周囲を温めてくれました。 彼は今、企業に就労し、誠実に、ひたむきに働いています。嬉しいことです。


金銭管理はむずかしい課題です。けれどもお金に親しみ、品物と大まかな値段を繋げて理解していく「金銭感覚」はだれにでも可能であり現実的な力になります。

交通機関の利用をすること、工賃(給料)を昼食代や小遣いとして上手に使うことは社会人として生きるための大事な生活力であり、彼の、彼女の新たな世界を広げていくことに繋がります。自分で考え、自分で行動し、達成感と自信を身に着けていきます。


親離れ、子離れの第一歩はこうした横への発達と考えております。学校生活では想像できなかったような、たくさんの人との関わりがあり、多様な景色がある、その意味で豊かな世界を広げていく姿を期待し、確かめていきたいものですね。


4.就労‥そして・暮らし方を選ぶ

(第49号)2022年3月1日発行


障害児教育38年還暦退職後障害者福祉の道に入って15年。私自身の進路選択主旨は「かれらのその先を見る・考える」でした。中学生を指導するにあたっては、高校生活の何たるかを知らねばならない。高等学校卒業後の社会生活では、かれらはどのように過ごしているのか。そこで課題となる事柄の様相を受け止め、保護者とともに考えあっていかなければ高校生への教育実践は具体性に欠け、意味を持たないのではないか。その思いどおり、幸いなことに私は自身の選択に即して学校間異動ができたのです。卒業生を追いつつ、考えつつ、障害児教育という職務を全うできました。そして障害者福祉へと移行できました。


一方現役時代就労支援の実務と並行して保護者・本人の希望を汲みながら「生活基盤を整える」目的で、障害基礎年金の学習および東京都通勤寮入寮も勧めました。この間、若者たちから、たくさん学びました。通勤寮を支援の核としてその後グループホームでの生活を選んで継続しているかれら。共同生活を見学して「集団生活は嫌です」と就労後ひとりぐらしを始めた彼。通勤寮で生活の基礎技術を身に着け、結婚し、地域で暮らし、子育てに励んでいる彼女。通勤寮からひとりぐらしへと移行し、自ら障害基礎年金の手続きもこなしている彼。学生時代に想像できなかったほどの逞しさです。時には老いた私を、同期生の「飲み会」にも誘ってくれます。グループホームの存在意義を確認している今、なのです。


いつも一緒に歩いていたつもりであっても子供のほうから違う方向へ行ってしまう・・という経緯はヒトが親から離れていくごく自然な自立探求であろうかと思います。武蔵野千川福祉会はその経緯とその意味を具体化すべく長らく「自立体験生活事業」を実践してきました。20歳を過ぎた本人および保護者の希望により3か月の期間設定で本人の目標を本人とともに定め、中間の振り返りを経て、親元を離れた生活を本人・保護者・職員とで纏めを行います。纏めの会に何回か参加させていただきましたが、保護者の方の率直な感想に胸打たれました。 **土曜日に家に戻り、日曜日には自立体験寮に帰っていく。後ろも見ずに帰っていく姿を見るのは寂しかったけれど、本人の成長を確かめた思いだった。*夕方はいつも忙しかった。けれど我が子の自立体験生活中、夕方眺めた空の色は特別な感じであった。自分の時間、という思いが広がった。**


現代は少子高齢化社会、80-50問題が社会のあらゆる場所から課題を投げかけております。子育てが一段落したら考えよう、では遅いようです。卒業生たちは就労し、自分に合った暮らしを選び、友人と共に余暇を楽しむという生き様を私たちに示してくれております。家族という単位を離れて、親もまた個人として年齢にふさわしい生活を求めていくことが望まれます。かれらを支援する人や、その余暇活動を共に楽しむ人が増えることこそ共生社会への道筋。私の知人たち、年齢にかかわりなく資格を取得したり高齢者施設で働いたり、趣味の道を極めたりしております。すべての人は生涯学習・生涯発達の道にありと、社会教育に触れ、地域がそこに開かれることが、今の私の希望であり夢でもあるのです。


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