教育センターについて

藤野 博 (東京学芸大学教授)自閉症児の発達研究から


1.自閉症と「こころ」への気づき

(第30号)平成27年12月1日発行


「こころ」はどこにあるのでしょうか。それはカップやペンが見えるのと同じようには目に見えません。でも、私たちは「こころ」はあるものと信じて疑いません。「こころ」があると考えたほうが人の行動が理解しやすいからです。雨が降ると“思った”からこの人は傘を持ってきたのだろうとか、あんなことを言うなんて、あの人は私のことが“嫌い”なのかなとか。そのように、人の行動を考えや感情などの心の状態と関係づけて理解できることを心理学では「『心の理論』を持っている」と表現します。「心の理論」は人の行動の説明や予測に役立ちます。人の行動を予測できると危険を避けることや利益を得ることができますので何かと便利です。そして、自閉症の子どもたちは心の理論を持つのが困難であることが多くの研究から明らかにされてきました。


「こころ」を感じ取る能力。私はそのメカニズムや発達にとても関心があり、研究テーマのひとつにしています。人間の本質に関わる問題だと思うからです。他人の「こころ」はどうやって知ることができるのか、ということは古くから哲学の課題にもなってきました。心理学の分野での心の理論研究は1970年代に始まりましたが、今日に至るまでホットな研究課題であり続けています。


本センターのご協力のもと、武蔵野東小学校のお子さんと親御さんに、2011年より東京学芸大学で行っている研究にご参加いただいています。心の理論の発達に関する研究です。まだまだ研究途上なのですが、ひとつ見えてきたことがあります。それは、自閉症の子どもたちは他人の「こころ」への気づきに困難を抱えることは確かなのですが、いつまでもできないままではなく成長していくということです。自閉症の研究はこれまで“できなさ”にばかり目が向けられてきたきらいがあります。私はむしろ成長・発達の可能性のほうを追求していきたいと考えています。調査は夏休みシーズンに行っていますが、毎年参加してくださるお子さんも大勢いらっしゃいます。お子さんたちの成長する様子を追っていけることが何よりの喜びです。


2.ロボットは人の心がわかるようになるか?

(第31号)平成28年3月1日発行


人工知能やロボットの研究者が自閉症に強い関心をもっていることをご存じでしょうか。彼らの究極の目的は「鉄腕アトム」のような自律型ロボットを作ることです。アトムは7つの力を備えています。遠くのかすかな物音が聞こえたり、暗闇の中でも物が見えたり、60か国語を話せたりするのですが、その中に「良い人と悪い人を見分ける力」というのがあります。人の心を読み取る力といってもよいでしょう。漫画ではアトムは2003年に誕生することになっていました。この7つの力のうち6つまでは今日の技術で実現できそうですが、心の読み取りだけは、アトムの誕生予定日から10年以上過ぎたいまでも機械にはできません。歩いたり踊ったり話したりするロボットはありますが、「人の心がわかる」ロボットまでは作れていないのです。どうやったらそのような機能を設計できるのか、そもそもそれはどのようなプログラムからできあがっているのか、最先端の工学者でもアプローチの方向に関する見通しさえ立っていないそうです。それで、ロボット開発者たちは、心の読み取りに困難を抱える自閉症の子どもの発達を詳しく調べれば、そのヒントが得られるのではないかと期待しているようなのです。


人は言葉や表情で相手の心を読み取りますが、同じ言葉でも状況や関係によって意味が変わります。たとえば「あほやなあ」という言葉の意味は、相手や場面によっては親しみを表すものになります。コンピューターにはその微妙な判断ができないのです。コンピューター将棋のように、いろいろなパターンを力まかせに憶えさせる方法もあるでしょうが、心の動きのパターンは無限にありますから、その方法では限界があります。人がやっていて機械がやっていないことは何か。一緒にいることが心地良い、楽しさを分かち合いたいという気持ちから起こる他者への歩み寄りではないでしょうか。自閉症の子どもにとって難しいことですが、武蔵野東学園のお子さんたちにはその成長がみられます。それは何らかのプログラムをインストールすればできることでもないようです。鉄腕アトムが生まれる日はまだまだ遠そうです。


3.心を理解する力の発達とことば

(第32号)平成28年7月1日発行


自閉症の人たちは「心の理論」をもたないとされています。心の理論とは1回目にもふれましたが、人の心を理解する力のことです。心の理論の有無を調べるテスト課題があります。パペットやアニメーションで次のようなストーリーを見せます。「Aさんはボールを箱に入れて部屋を出て行きました。そこにBさんが来て、ボールを箱からバッグに入れ換えました。」そして「部屋に戻ってきたAさんはボールをどこに探すでしょう?」と質問します。この問題に正しく答えるためには、自分が知っている事実(ボールはバッグの中にある)からではなく、Aさんの視点(ボールは箱の中にある)に立って考えることができなければなりません。このような心の理論課題は通常の発達の子どもでは4歳くらいになると解けることがわかっています。一方、自閉症の子どもの場合、知的な遅れがなくても正答するのが難しく、相手の視点(箱)からでなく自分の視点(バッグ)で答えてしまうことが多くの研究で明らかになりました。


しかし、自閉症の子どもでも正しく答えられる場合があることもわかってきました。そして、それに関わっているのはことばの力である可能性が見えてきました。ことばの力が9歳レベルを超えると、自閉症があっても心の理論課題を解けることが多くなります。つまり、小学3年生頃になると、ことばを通して考えることで人の心に気づく力が伸びるのです。そのようにテスト場面でできるようにはなっても、日常生活場面で、人から促されず自分から人の心に気づくことは依然として難しいことも事実です。ですが、言われて考えればわかるようになる、というのは大きな進歩だと思います。ことばを通して、社会にアクセスし参加する可能性が広がるからです。このような研究の知見は、小説や物語、漫画など人の心の状態や心の動きが表現された作品に親しむことは、心を理解する力の成長を促す可能性を示唆するものと考えられます。


4.ソーシャル疲れ

(第33号)平成28年12月1日発行


今ほど社会性やコミュニケーション能力に価値が置かれている時代はないのではないでしょうか。それも、周囲に合わせ同調できるかどうかが重要なようです。そして、それができない人は「KY」や「コミュ障」などと呼ばれ、学校では「スクールカースト」の下層に置かれてしまいます。


少し話は変わりますが、英国のEU離脱や米国大統領選でのトランプ候補の善戦などの予測で名高い人類学者のエマニュエル・トッドさんは、それらの動向の背景に「グローバル疲れ」があると指摘しています。そのひそみに倣うわけではありませんが、いま世の中に「ソーシャル疲れ」ともいうべき徴候も見え始めているように思います。人々が過剰に空気を読み合い、人間関係の調整を絶え間なく行うことで心をすり減らしているのではないかということです。いつもSNSで「いいね!」と承認を得ていないと不安になるという声も聞きます。一方、日頃親しくしている自閉スペクトラムの知人は、書店でソーシャルスキル関係の新刊本を見るにつけ「またソーシャルか・・・」とうんざりすると話していました。その知人の名誉のためにつけ加えておくと、とても礼儀正しく温和で感じがいい人です。


ソーシャルスキルは、いうまでもなく人と人とが共に気持ちよく生活するために大切なものです。私自身も発達障害の子どもたちのソーシャルスキルの支援に20年近く携わってきました。ソーシャルスキルを学ぶことで社会生活が楽になったり、進路が開けた人たちをたくさん見てきており、その意義は否定すべくもありません。しかし、ソーシャルスキルが充実した人生のために最優先の課題かというと、違うのではないかとも思います。「ソーシャル」であることばかり意識しすぎるあまり、その人らしさが損なわれ、力が発揮できないなら本末転倒ではないでしょうか。「もしなにかの魔法で自閉症が絶やされたら、人類は今も洞窟の入り口で焚き火を囲んで暮らしているだろう」というテンプル・グランディンさんの言葉を最後に引用し、4回にわたる私のコラムの締めくくりとしたいと思います。


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