教育センターについて

明地 洋典(京都大学教育学研究科准教授)教えてもらったこと


1.知識と経験

(第50号)2022年8月1日発行


これまで武蔵野東学園の皆様や研究教育生活の中で関わってきた方々から、大切なことを多く学ばせていただきました。本号からの全4回の連載では、それらについて書いていきたいと考えています。今回は、経験の大切さについてです。


はじまりは、大学院生に成り立ての僕を、指導教員の長谷川寿一先生、先輩の菊池由葵子さんが自閉症研究に誘ってくださったことでした。自閉症に興味はあったものの、知識は浅いものでした。しかし、二つ返事で参加を決めたように思います。先に当事者の方々の思いに触れていたら、責任を感じて躊躇したかもしれません。


いつも武蔵野東学園の先生方にご協力いただき、調査依頼をさせていただいています。夏休み期間中に実施することが多いため、この調査のことを僕たちは「夏の実験」と呼んでいます。調査参加者の皆様との集合場所は大学の正門前で、駒場東大前駅の目の前です。そこで待っていると、改札から階段を降りてくる皆様の姿が最初に目に入ります。


僕にとって初めての「夏の実験」が始まり、メンターの千住淳先生と正門前で待っていると、階段を降りてくる人の中に、階段を昇り直して、また降りてくる人がいました。千住先生はすぐにその子だと気づきました。経験を通して僕も今ではちょっとした仕草などから特性に気づくようになりました。これは経験知(言語化が難しく「暗黙知」とも)と呼ばれます。


実験の前後や休憩中には、参加者や保護者の方々、他の実験者と様々なやりとりをさせていただきます。その中で、自閉症とは、発達とは、人間とは何かということを、経験知として学ばせていただいてきたと感じています。それは本や論文からは学べません。子どもの言語獲得はよい例ですが、「○○とは□□だ」のような形式的な定義や他者の経験でなく、自らの1つ1つの経験から得たものが知識の基盤になります。上記の階段の例も、そういった経験の例です。


経験の機会を与えていただいていることもそうですが、そういった経験を通して、経験の大切さを教えていただいたことにも感謝しています。今は大学で教える立場にいますが、経験したからこそ教えられることがあります。一方で、経験知を伝える難しさも感じており、学生の皆にも経験や体験をする機会を提供することを重視したいと思っています。次回以降も、経験を通して得たこと、教えていただいたことについて書いていきたいと思います。


2.個性と障碍

(第51号)2022年12月1日発行


前回、「夏の実験」について書きました。実験に参加してくれる子たち(と言っても、成人されている方もいます)はそれぞれ個性的です。僕が研究を続ける決断をした理由の1つには、そんな個性豊かな皆とまだ関わっていたいという、ある意味で自分本位な思いがありました。


個性は、その人らしさと言い換えられるかもしれません。その人固有で絶対的なものであるように思えますが、一方で、差異から生じる相対的なものでもあります。ちょんまげは令和に生きる日本人の目には個性的に映るかもしれませんが、江戸時代ではそうではなかったでしょう(個性的な結い方はあったかもしれません)。


自閉症の診断を受けている方々と会うと、これだけ個性豊かな方々が1つのまとまりとして記述されてしまってよいのだろうか思うときがあります。自閉症は症候群です。症候群とは、機序は不明だけれども、同じような症候が多くの人に見られる場合に使われる言葉です。自閉症であれば、「著しい興味の限局」「特異な社会的コミュニケーション」などの特徴が発達早期から見られることなどをもとに1つのまとまりとして記述されます。


「障碍も個性」という言葉があります。しかし、少なくとも僕は診断的特徴そのものを個性と感じたことはありません。たとえば、こだわりや選好も、その在り方は一人一人異なります。電車好きの子は多いですが、車両編成、モーター音、路線図…路線の中でもこの路線…など様々です。


障碍は、症候群やdisorderの意味では、共通項として捉えられるものです。その意味で「障碍も個性」という言葉は、根本的に矛盾した表現とも言えます。この言葉を用いるのは、社会ではまだ障碍に負の印象や見方があり、それを変えたいからかもしれません。一方で、社会が目指すべきなのは、障碍の有無や程度に関わらず、それぞれ個性的である一人一人が尊重されることであるはずです。


こういった考えや視点も、一人一人と関わらせてもらった経験から得たこと、教えてもらったことです。「多様性」や「障碍も個性」などという言葉を持ち出さずとも、一人一人が尊重される社会になるように、自分なりにできることをしていきたいと思います。


3.視点と立場

(第52号)2023年3月1個性と障碍


今回は、武蔵野東学園と関係が深い東條吉邦先生についてです。東條先生は、いま武蔵野東教育センターと小学校が建っている土地にあった国立特殊教育総合研究所(現国立特別支援教育総合研究所)分室に25年間勤務された後、茨城大学で教授を務められました(詳細は教育センター会報第9巻第1号参照)。夏の実験は分室で行われていたものを引き継いだものでした。東條先生は皆から愛される人間性の持ち主です。


東條先生は電車好きで、話し出すと止まりません。同じく電車好きの子と関わると、電車に詳しくない人にはわからない話が展開されます。そういうときは、東條先生も相手の子も楽しそうで、互いにしかわからない世界を確かめ合っているようにも見えます。東條先生はご自身でも自閉スペクトラム度が高いと話しています。


あるとき、東條先生が小さい子を相手に、いないいないばあの動きをしながら「みえないみえないばあ」とおっしゃいました。子どもから「みえない」という意味ではなさそうだったので、東條先生はとっさに自分の視点から言葉を使われたようでした。


他者の視点や他の地点からの見え方や感じ方を推測することを視点取得と呼びます。自閉スペクトラムの人たちは視点取得に違いを見せるという報告もあります。一方で、自分の視点のみに基づいてとっさに反応してしまう傾向が一般の成人たちにも根強く存在することも報告されています。


東條先生は常に自分視点で人と接するわけではありません。お子さん本人や保護者の方に対して「何が好きなの?」と問いかけ、純粋に相手の好みや考えを知ろうとなさいます。保護者の方々も東條先生に様々なことをご相談され、話せてよかったと言いながら帰られる姿を何度も見ました。そのように安心される要因の1つに、誰にでも見せる東條先生の屈託ない笑顔があるかもしれません。


社会では立場を弁(わきま)えることは重要とされますが、弁えない姿が人に大切なことを教えることもあります。教授という立場にありながら、封筒の切手貼りや深夜のEメール対応など地道な作業を学生とともにされる方はなかなかいません。最後に、立場を弁えずに書いたこの原稿に目を通して掲載の許可をくださった東條先生に感謝を申し上げます。


4.言葉と意思

(第53号)2023年7月1日発行


自閉スペクトラム症の診断基準の1つに社会的コミュニケーションの障碍がありますが、コミュニケーションは双方向的なもので、一方に障碍や困難があるという言い方は適切ではないはずです。自閉スペクトラム度の高い人の様式とそうでない人の様式が異なり、齟齬が生じやすいということでしょう。


自閉スペクトラムの人たちには文脈によらず言葉をそのまま受けとる傾向があると言われます。一方で、僕たちの実験の結果からは、自閉スペクトラムの人たちも文脈を用いてコミュニケーションを行い得ることも示唆されています。今後、文脈利用の詳細が明らかになることで、日常的なやりとりにおける工夫などに繋がっていけばよいなと思います。


人間は同じ言葉であっても文脈によって別の解釈をします。「私は赤ちゃん」というエッセイ集の中に出てくるカズちゃんは「キーイ」という声だけで「花子さんに抱っこしてほしい」「自分もそのお菓子がほしい」などの欲求を伝えられます。これは周囲の大人が文脈を考慮して発声の意図を推論できているからであり、この場合「キーイ」は言葉として機能していると言ってよいかもしれません。


夏の実験に何度も参加してくれた子とのやりとりで心に残っているものがあります。その子には発語がありませんでした。ある年、実験の休憩時間に紙に単語を繰り返し書き始め、何度も声を出しながら僕の目を見てくれました。共有したいという意思と伝わることへの期待を強く感じました。おそらく僕はそのときその子がそのようなことをすると予想していなかったのです。その子なりの意思表示をずっと見逃してしまっていたのかもしれません。


子によってそれぞれ異なる意思の表れを察知して汲みとることが僕たちには求められているのだと思います。あらゆる先入観を捨て、その子のふるまい1つ1つがその子にとっての言葉である可能性があることを常に心に留めておく必要があるのでしょう。


この会報の名称は‘Heart to Heart’です。それぞれ異なる子たちの意思を掬い上げ、心を通じ合わせるには様々な経験やその子自身との長きに亘るやりとりの積み重ねが必要になるのかもしれません。僕も研究者として、養育や教育に関わる方々と同じくheart-to-heartの精神を大切にしていきたいと思います。


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