安部歳夫先生
追悼号

武蔵野東学園広報 安部歳夫先生追悼号 【オンライン版
平成17年(2005年)5月13日発行

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  安部先生 やすらかに    理事長 寺田欣司

目  次

 P.2 安部典子様 (ご遺族)
大南英明様 (理事会)
 P.3 小美濃安弘様 (評議員)
岩崎充利様 (後援会)
長内博雄 (教職員)
 P.4  野田 彰様 (前学園長)
安部歳夫先生ご経歴
安部歳夫先生を偲ぶ会

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故 安部歳夫先生

 平成17年3月17日、当学園第二代理事長安部歳夫先生が、ご逝去されました。学園教職員を代表して、ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 お通夜の席で、先生のご遺族がポツリと話されました。「父はもう九十歳を超えていましたのに、こんな大勢の方にお参りいただいて…」
先生の生前を知る者の一人として、会葬者が多くなるだろうとは思っていましたが、確かに本当ににぎやかなお通夜でした。
 「棺を覆いて事定まる」と言います。人間の評価は亡くなって初めて決まるものだ、との意味ですが、まさにこれだと思いました。
 日本が貧しかった頃、その中でも困窮家庭の典型のひとつだった、水上生活者の子弟を預かる水上学校で、先生は教師としてのスタートを切られました。その後は、常に障害者教育の第一線に身をおかれ、日本の障害者教育の先駆者、第一人者の一人として、無私の生涯を送られました。
 その安部先生の下には、先生を慕う多くの後輩たちが育ち、その方たちがまた日本の障害者教育を支えてこられました。学園創立の母、北原キヨ博士もその一人で、キヨ先生は生前安部先生を当学園の教育顧問として招聘し、そのご指導を受けました。
 そして先生は、北原勝平初代理事長の死去に伴い、当学園第二代理事長に就任され、厳しい局面に立たされていた、当時の学園経営の再興に尽力されました。安部先生が理事長に就任されるとほぼ同時に、私も監事として経営に参画することになったのですが、理事会の席上難しいテーマにメンバーが言葉を詰まらせていると、先生はちらりと私の顔を見て、発言を促されたことがしばしばありました。私はそのときの光景を、今でもありありと思い浮かべることができます。先生は当学園の理事長職を、ご自身の現役最後の仕事として大切にしてくださいました。
 安部先生を語るとき「酒」を抜くことはできません。本当に良いお酒でした。恒例の盆踊りの席ではいつも隣に席を取らせていただき、杯を交わしたものでした。いつもにこやかに、注がれた酒を決して拒まず、おいしそうに飲み干すその風情は、まさに大人の風格そのもので、親子ほどの年齢差の私は先生が、甥にいつもやさしかった自分の亡き父親の兄のように感じられたものでした。
 お亡くなりになられたその翌週、学園教職員全員が一同に会し、先生の遺影にお花を捧げ、生前を偲びました。私はそのとき、理事長を辞任されたときのお別れのご挨拶を思い起こしました。自分は逆子で生まれ、子供の頃は暴れん坊で鳴らしと、ご自身の人生を振り返り、訥々と来し方を語られたあのときのお姿を、私は胸に大切に、そしていつまでも、しまっておきたいと思います。
 安部先生は理事長職を退任された後、一年後に病を得ましたが、主としてご自宅で療養され、ほとんど苦しみもせず、その最後もご自宅で迎えられたと聞いています。
 私は昨今の日本には、功成り名遂げた後に「晩節を汚す」人々が余りにも多いことに悲しい思いを禁じ得ません。しかし安部先生は、その無私の生涯を最後の最後まで全うされ、先生を敬愛する多くの人々に送られて、あの世に旅立たれました。己の人生もかくあれかしと念じるばかりです。
 安部先生どうぞ安らかにお休みください。 
                              理事長 寺田欣司


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