校長の独り言【569】 



 本日の朝日新聞に、次の記事が載っていました。
 正に、武蔵野東学園の教育方針であります。

 「バリアフリー教育充実策 政府、東京五輪に向け推進計画 「共生社会」実現めざす」
  政府は2020年東京五輪・パラリンピックに向け、障害のある人もない人も支え合って生きる「共生社会」の実現を目指す推進計画をまとめた。障害への理解を深める学校教育の充実策が柱。障害のある人との交流や共同学習を増やしたり、教科書の記述を充実させたりする。
 
 そして、『私の一番の願い』と同じです。

 『「町」や電車・バスの中で、障害のある人が突然大きな声を発したり、強いこだわりを示している場面に遭遇した時に、今の私であれば驚くこともなく、その人を理解することができます。

 しかし、子どもの頃の私を振り返ってみると、一歩後ずさりし、奇異の視線を送っていたことを思い出します。私の幼児期から始まった学校教育の場に、いかに障害のある人を理解する教育設定がなされていなかったかを痛感させられます。

 確かに、現在の学校教育の場において障害のある人を理解する環境は、私の幼児期と比較すれば幾分増えている感はありますが、決して十分とは言えません。

 また、武蔵野東学園の教員ということで障害のある生徒を引率して色々な所へ行く機会があります。海外に修学旅行に行った時に、ある生徒が問題行動を起こしたことがありました。その時に、日本人とアメリカ人の捉え方の違いを強く感じたことがあります。日本人であれば、決して全ての人ではありませんが、私の子どもの頃と同じように奇異の目で見ている人が多いように思えます。逆にアメリカ人には、奇異の視線を送る人はほとんどいなかったように感じました。これは、ただ単に国民性の違いだけではないと思います。  
 
「町」の中には、健康な人、障害のある人、背の高い人、小柄な人等様々な個性を持つ人が共存しています。だから、様々な個性を持つ人が互いに互いを理解し合うことが、みんなが安心して暮らせる「まち」にするために最も必要なことなのです。
 
 学校教育の中で『障害のある人の理解教育』を根付かせることが、みんなが安心して暮らせる「まち」に近づける最良の方法と考えます。
 
 この理解教育がたくさんの「町」の学校で実施されることにより、ある程度の時間は必要となりますが、幼児期からの積み上げ教育の成果がその国民性に必ずや変化をもたらし、みんなが安心して暮らせる「まち」となることを信じ、願っています。 』

校長  情報ID 71402 番  掲載日時 07/15/2016 Fri, 10:02