他人を理解するということ

Heart to Heart23 平成2571日発行

夏の暑さが訪れていますが、まだ朝夕は肌寒かったりします。お子さん共々、気候の変化に慣れるまでは、体調管理にご留意ください。

やや唐突ですが、高校生の頃に湧いてきた疑問、それは、私という意識がこの特定された体にあるのは何故だろうかということでした。私という主体が突然宇宙の中に発生したのはなんとも不思議。その自分という意識を持つ人間が、地球上には何十億人もいる!私という存在が、偶然の誕生と言われても割り切れないものがありました。立派なほどに哲学的な疑問ですが、若い頃には、おそらくよくある話でしょう。

このように、違った「個」がひしめいているこの世界は煩雑ですが、それ故に実に面白くもあるのかと思います。考えてみると、私たちの日常の世界というのは、お互いが一緒の場にはいても、全く同じ感覚、同じ思考の流れをもつ人は一人としていません。しかも他人が自分とは違った見方、感じ方をしていることをつい忘れています。他人の理解の仕方に至ってはかなりいい加減でもあります。お互いが他の家族に抱いているイメージでさえ、おそらく本人が思っている自分とはかけ離れていることでしょう。この個と個の間に横たわる不確かさが、さまざまな思い違いや感情のすれ違いを生み出すのは当然かもしれません。

詰まるところ、人の思いに心を巡らすことは簡単ではないということです。ましてや、他人の思いを想像することを基本的に苦手としている子どもたちが、人とのコミュニケーションに苦労するのはもっともな話です。そしてまた、当然ながら彼らのこうした不自由さには、私たちを含めた社会全体が向き合っていかねばなりません。思うようにコミュニケーションをはかれない子どもたちは、表面のみを見て自分を理解しようとすることを私たちに許してくれません。今、互いを深く理解していくことを求められているであろう人間社会が、一大テーマとして、次の段階に至るための課題を与えられているかのようにも感じられます。

ただし子どもの成長は今の一歩が肝心ということを忘れてはなりません。発達に障害をもつ人が人生をエンジョイできるようになるには、彼らが自己実現を図っていく作業を本人に寄り添って支援していく環境が必要です。さらには彼らを一人の「個」として尊重する社会の眼差しが熟成していくことも必要なのですが、私たちが子どもと共に、明るくたくましく道を示していくことが、何よりもこれらを切り開く力になるのだと思います。この教育センターもそうしたことを強く願って子どもたちの療育に当たっています。

この夏休みを、どうぞ健康的に、そして有意義にお過ごしください。

 

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