コミュニケーションの道のり

Heart to Heart18 平成23123日発行

コミュニケーションということばの由来は、ラテン語で「分かち合うこと」だそうです。また一般にコミュニケーション能力とは、感情を互いに理解し合い、意味を互いに理解し合う能力のことを言います。そこには、非言語的な要素である相手の表情や眼の動き、沈黙の間や場の空気などに注意を払うことで、相手の気持ちを推察するという力も含まれてきます。

この説明を一読しただけで、発達障害のある子どもたちにとって、コミュニケーションの道のりが険しいことを思わずにいられません。私たち大人でもコミュニケーションのとり方は千差万別です。会話一つにしても口数の多寡、身振り手振りの動作や表情の特徴、間のとり方や相手の心の動きに対する反応の仕方など、一人として同じ人はいません。人それぞれのコミュニケーションのとり方から、私たちはその人なりの持ち味を感じ、その奥にある人間性まで想像します。

私は、自閉症の子どもたちが言語を獲得していくのに苦労している様子を見ていて、時折、日本人の私たちが、外国語である英語を学ぶ初歩のプロセスに、よく似ているのではないかと思うことがあります。私たちも英語としての生の言語感覚がないので、当初は英語圏の2歳ぐらいの子供が話すようにさえ、自由に言葉を紡げません。あくまでもことばを記号として、頭の中で考え、整理して言葉を作ります。助詞の感覚などはさらにありません。英語で何か話そうと思うと、まずは簡単な構文を丸暗記して使ってみるしかないのです。自閉症の子どもたちも全くそんな感じですから、苦労のほどが分かります。同じ構文を数多く練習し、その言い方に枝葉を増やすなどします。そして、文字や動画を活用したり場面を想定して練習したりしながら続けさせていくことが必要ですが、簡単なことではありません。ご家庭においても日常の中で、基本的にことばの障害要素を持っていることを認識していたとしても、「どうして、こんな簡単なことが身につかないの?」と、じれったく思ってしまうこともあるかと思います。しかし本人としては、聞き慣れない暗号を覚えていく課題に立ち向かっているようなことかもしれません。しかも思うようにことばに出せないじれったさを一番感じているのは、言うまでもなく本人です。

どこまで他人の言うことを聞き取り、自分の思ったことを人に伝える能力を高められるかということには、かなり個人差があるのはご承知のとおりです。そしてまた、ことばの発達が十全になされれば、それで問題がなくなるかというとそうではありません。高度なレベルのやり取りではなくても、相手のことを素直に受け入れ、相手に受け入れやすいような自己表出ができることは、コミュニケーションにおけるとても大切な要素です。

会話が覚束なくても、社会で働き、周りの人たちに認められている学園の卒業生がたくさんいます。「何を考えているのか分からない人が多い」とよく耳にする今の社会の中で、本人の個性、持ち味、人間味を相手に感じさせ、周囲がその人の欲していること、考えていることを理解できるような動作やことばの使い方を、シンプルではあってもできるなら、それは結構レベルの高いコミュニケーションのあり方と言えるのかもしれません。

もしもです。私たちの世界がテレパシーでコミュニケーションする時代になったとしたら、彼らは、意外と機微に満ちた素敵な想いを、私たちに伝えてくれるかも知れませんね?

 

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