表現するよろこびを味わって

Heart to Heart13平成2236日発行

 この年度末、受講を終えて帰る親子の会話に、一年間を成し終えつつある充実感がこもっているようで、心なしかその声が弾んで聞こえてきます。事実、先の個人懇談では多くの方が、「一年間続けて通って来られて本当によかった」と感想を述べていました。最後をきちんと仕上げることは、必ずや次の飛躍の布石になっているに違いありません。 

 子どもたちは、また上級学年や入園・入学の新しい環境を迎えることになります。まずは保護者の皆さんが、変わることへの抵抗感や先が見えないことへの不安を、「何事も大丈夫!」という気持ちに切り替えて、お子さんの新しい経験を支えてあげてください。

 話は変わりますが、先日とある駅前のバス停で、小学校1、2年生位の女の子がご婦人と手話で話しているところに出会いました。その少女は、何か時間を惜しむかのように相手に話しかけています。少女のお母さんとご婦人の会話から、そのご婦人は偶然通りかかった方で、手話の講師をしていることがわかりました。私と同じバスに乗ったその少女は、見送ってくれているご婦人になおも窓越しに話しかけます。「どうして、知った?」「どうして?」「また、会える?」と、バスが出発するまで、手話とともに今度は不確かな発音の片言を発しながら、問いかけていました。

 ふだん少女が話せる相手は、きっと家族や学校の先生などに限られているだろう。あのご婦人はお母さんと彼女のやりとりを見て、何か手話で話しかけたに違いない。少女は思いもかけずよその人と手話を交わすことができて、本当にうれしかったのだ。「どうして知った?」というのは、「どうして手話ができるの?」という意味ではないだろうか…。私は、コミュニケーションを求めてやまない少女の思いを、心の中で追っていました。

 そして思考は巡り、うちの子供たちへと移ります。自分を表現しきれないあの子たちのストレスははかり知れない。そのストレスからさまざまな行動も出てこよう。人を試したり怒ったり、また無気力になったりと。彼らの心が長いこと受け止められなかった時に、ねじれた行動が見られたとしても不思議ではない…。自分というものを、何かの形で表現できることの重みを、改めて思わされます。

 自分を表現するということは、生きるということそのもの、と言っても決して嘘ではないでしょう。その表現とは、当然ながら会話やコミュニケーションに限ることではなく、意志を働かせて行うすべての活動を指しています。それが何であれ、自分を表現することは、生きているという実感を伴います。

 「社会への適応力」を育てることは、重要な目標の一つですが、主体者である本人の心の動きを視野に入れながら、進めることが大切です。簡単なことでもできるようになる。それが楽しくなって上手になる。時に周囲をあっと言わせるような才能を発揮したりもする。日々の生活の中に、表現するよろこび、生きるよろこびの場があります。より創造的な自己表現は、豊かな人生の大切な要素となり得るでしょう。会話による表現の他に、絵、工作、音楽、作文、詩、陶芸、手芸、舞踊、スポーツ、労働その他自分の思いを刻む方法は、日常の生活の中に限りなくあります。

 教育センターの活動の中にも、そのようなきっかけとなるものが多く含まれています。新年度を、また前向きに創り上げる気持ちで迎え、子どもとともに歩んでまいりましょう。  

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